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なりふり構わず駆けつけて、それでも傍目には優雅な貴公子は、白い病室に眠る繊細な容貌の青年の姿を目にした途端、動きを止めた。
「・・・・・・・・・・・・ユウリ・・・」
 万感の想いを感じさせる声に、医者に無理を言って病室に留まっていたオスカーは、微かに眉を顰めた。
「・・・まだ、学校関係者とご家族以外には連絡いってないはずなんですがね・・・」
「オスカー。君が、ユウリを見つけたのだと聞いているよ」
 オスカーの不審そうな呟きは綺麗に無視して、フランス貴族の末裔であり、ユウリの親友であるシモン・ド・ベルジュは、ベッドの傍の椅子に座っていた後輩に視線を向けた。
「どういう状況だったのか、聞かせてもらえるかな」
 水色の瞳の理知的な光を見て、とりあえず、オスカーは、フランスから駆けつけたにしては早すぎる、とか、どこから情報を得たのか、とか、そうした自分の疑問は脇に置いて、簡単な説明をした。
「・・・・・・『魔術書』?」
 ユウリが倒れる前に呟いた言葉を伝えると、シモンは形のいい眉根を寄せて、目を閉じたままの大切な親友を見下ろした。
「・・・・・・・・・どこかの誰かが聞いたら、喜んで飛んできそうな話だね。だけど、何の『魔術書』なのかわからないなら、探しようがないかな・・・」
 不安そうな、慕わしそうな。
 焦がれ求め、取り戻すことを誓った存在を凝視める視線は、たぶん、自分と余り変わらない。
 オスカーは、肩を竦めて、ベッド脇の椅子を、かつてのセント・ラファエロのカリスマに譲った。
「ありがとう」
 シモンは、戻ってきた最愛の親友から片時も視線を外さないまま、ゆっくりと枕元の椅子に腰を下ろした。
「ユウリ・・・・・・」
 不安そうな。慕わしい・・・愛しそうな。
 また目の前から消えてしまうのではないかと不安そうな。けれど、戻ってきたのだと、自分の目の前に、戻ってきたのだと、もう二度と失うまいと、愛しい存在へ、決意を秘めた、瞳。
「よく・・・戻ってきてくれたね・・・」
 さらりとした黒絹の髪を梳き上げて、額にそっとキスを落とした。
「お帰り・・・ユウリ・・・」
 ドア付近に立ったままの後輩のことなど意識の外に追い出したシモンは、ただひたすら、一年以上も見ていなかった、最愛の親友の繊細な容貌を凝視め続けた。
 早く目を覚ましてくれないかと。
 祈るように、願うように、期待するように、凝視め続ける。
 毛布の下のほっそりとした手に手を重ね、目覚めるためのエネルギーを分け与えられるならそうしたいと願い。
「ユウリ・・・」
 この一年、何度、虚空に呼んだかしれない名前を、本人に向かって呼びかけながら。
 その時。
 不意に、象牙色の瞼が、小さく震えた。
「ユウリ?」
 期待と不安を胸に、囁くように呼ぶ声に。
「・・・・・・・・・?」
 ゆっくりと、焦れるほどゆっくりと、ユウリは漆黒の瞳を開いた。
「ユウリ? 大丈夫かい?」
 身を乗り出して問うシモンに、ドア脇にいたオスカーも駆け寄ってくる。
「フォーダム!」
 覗きこむ二人の目の前で、ユウリは、ニ・三度瞼を上下させ、ゆるりと視線を上げた。
 深く澄んだ神秘的な漆黒の瞳に、喜びと心配を浮かべた二人の姿が映る。
「ユウリ」
 漆黒の瞳は煙るように深さを増し、呼びかけに小首を傾げた。
「・・・・・・誰・・・?」
 掠れた声は、聞き間違いなのか。
「ユウリ!?」
「フォーダム?」
 愕然とした青年達の呼びかけに、けれど、黒絹の髪の華奢な青年は、不思議そうに凝視め返すだけだった。



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