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天上天下唯我独尊且つ傲慢不遜な青黒髪の魔術師も、やはり、連絡を受けたわけでもないのに、その日のうちに、ユウリが入院している病院へやってきた。
「・・・近頃、ロンドンでは動きがないと報告を受けていたんですがね」
 フランス貴族の末裔の、溜息交じりの言葉に、青灰色の瞳の悪魔の申し子はにやりと笑った。
「例え南米の奥地にいようが、アフリカの砂漠にいようが、南極の極点にいようが、こいつが戻ってきたなら、俺がここに来ないわけがないだろう」
 ある意味、シモンと共通する認識ではあるのだが、相手がコリン・アシュレイでは、嬉しいわけもない。
 しかも、問題は更に深刻なのだ。
「で? ユウリの頭がパーになってるってのは本当なのか?」
 慌しい診断の後に結果を聞かされて、未だ戸惑ったままのシモンは、アシュレイの人を食ったような問いに、眉を顰めた。
「記憶障害です。白痴になったわけではありませんよ」
「もともとトリ頭だったものが、全部すっからかんになったってことだろう?」
 皮肉げに笑いつつ、しかし、青灰色の瞳が笑っていないことに、シモンはとうに気付いている。
「・・・忘れているだけです。精神的な衝撃を受けたのかもしれません。・・・絶対に、思い出しますよ」
 苛立たしいのは、シモンの方だ。
 ユウリが。
 何者にも代えがたい、ただ一人の大切な親友が、自分のことをおぼえていないなんて。そんなことがあっていいのか。
「思い出させる、の間違いじゃないのか? せっつき過ぎて、かつての守護者さまが嫌われるのも一興ってもんだ」
 挑発的な笑いは、しかし、すぐに収められた。
「それで、役立たずの蛇憑きは、何を聞いたって?」
「・・・・・・・・・」
 本当に、盗聴器でも仕掛けられているのではないかと不審に思うほどの情報把握力なわけだが、シモンは、いっそオカルトに多大なる知識を有する魔術師の意見を聞くのも悪くないと割り切ることにした。
「『魔術書』だそうですよ」
「『魔術書』?」
 片眉を上げて、薬で再び寝入っているユウリの顔を見下ろしたまま、アシュレイが問い返した。
「そうです。何とかの『魔術書』を探す、というようなことを、ユウリは言っていたそうです。何の魔術書か聞き返す前に意識を失ったそうですし、目覚めてからのユウリは、自分や過去の記憶はおろか、その言葉を言ったこと自体も忘れています」
 もどかしくも苛立たしい思いを抑えて、淡々と説明した。
「なるほど・・・」
 面白そうに呟いてしばらく思案したアシュレイは、すぐに踵を返した。
「どこに行くんです?」
「お貴族さまは、相変わらず後手がお好きらしいな」
 呼び止めたシモンを振り返り、アシュレイは嘲笑した。
「ただ心配して寝顔を見てたって何も進展なんかしない」
「そんなことはわかっています」
 きつく眉根を寄せて睨み返した。
「どうだか。『魔術書』を探すと、ユウリが言ったんだろうが。だったら、探せばいい。そうすれば、記憶だって戻るだろうさ」
 肩を竦めたアシュレイの嘲笑うような表情に、シモンは口唇を噛み締めた。
「何の、『魔術書』なのかわからないのに、どうやって探すつもりです?」
「自分で考えろ」
 青黒髪の魔術師が吐き捨てて歩き去るのを、シモンは凝然と見送るしかなかった。
「ユウリ・・・」
 もちろん、シモンとて、そうするしかないのかとも考えてはいた。しかし、アシュレイほどのその方面の知識も情報網もない自分に、どこまでできるのか。
「・・・でも、思い出して欲しいからね・・・」
 アシュレイが揶揄したように、無理に思い出させるわけにはいかない。
 けれど、『魔術書』方面から探すのが難しいなら、ユウリの記憶の欠片を探しながら、『魔術書』も探すしかないのではないか。
 できる限りの情報は集める。当たり前だ。ユウリの様子を見ながら、その方向性を検討すればいい。
「ユウリ・・・・・・」
 記憶があってもなくても、最愛の親友が戻ってきたのは確かなのだ。
 ただ、もう一度、信頼し合える絆を築いた、重ねてきた月日を、取り戻したいと思うだけだ。
 最悪、記憶が戻らないとしても、また一から友情を育めばいい。
 ただし、『魔術書』の件といい、何か、天から使命を与えられている、というような事態ならば、ただ友情を育てている場合ではない可能性もある。
「アシュレイより、僕を先に思い出してくれないとね・・・」
 深く澄んだ漆黒の瞳の真正面に、もう一度、自分を映してほしいと思う。
「・・・ユウリ・・・」
 シモンは、『魔術書』探しの検討を続けながら、いつまでもいつまでも、最愛の親友の寝顔を見つめていた。






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