本当は怖い 第二部予想 1
エドモンド・オスカーがふとそんな気になったのは、気まぐれでもあり、感傷でもあり、そして、たぶん、必然だったのだ。
「フォーダム・・・・・・」
一年ほど前、卒業直前に姿を消した一つ年上の、東洋の血の色濃く出た繊細な顔立ちをした青年の名を呟きつつ、シンと静まり返ったヴィクトリア寮の廊下を歩いて、彼は、一つの扉の前に立ち止まった。
イギリス西南部にあるパブリック・スクール、セント・ラファエロに在籍する者達の中で、真実を知っている者は僅かしかいない。
ユウリ・フォーダム。
在らざるものを引き寄せる、東洋の真珠。
事件の中、行方の知れなくなった華奢な青年を、誰もが案じた。真実を知るものも、知らないものも。
けれど、一年経った今でも、行方は杳として知れない。
彼の住んでいたヴィクトリア寮の部屋の荷物は、もちろん、全て家族が引き取っていったけれど、遠慮したのか、何か感じるものでもあったのか、この一年、この部屋には次の居住者を置かなかった。筆頭代表であり、オスカーの友人でもあるドナルド・セイヤーズの真意を確認したことはなかったが、オスカーは、お陰で、折にふれ、この部屋で、慕っていたというにはいささか思い入れが深すぎる彼の人の気配を偲ぶことができた。
生きていると、信じている。
けれど、行方を辿る術もなく、オスカーは、ただ無為に時間を過ごした自分を悔やみつつ、自身の卒業を控えたこの夜、ふと、また、この部屋を訪れたくなったのだ。
「・・・失礼します・・・・・・」
部屋の主がいるかのように、小さくノックして、断ってから扉をあけた。
消灯時間も過ぎ、寝静まった寮の中より、更に静けさを感じさせる、荷物のないがらんとした部屋に、足を踏み入れる。
月の光だけが、窓から清明に差し込んでいて、彼の人の不在をより強く意識させた。
「・・・・・・フォーダム・・・」
虚空に向かって、呼びかける。
オスカーは、無力且つ女々しい自分に呆れるように首を左右に振り、踵を返そうとした。
その時。
かたん、と。
奥の寝室の方で、物音がした気がした。
「・・・・・・なんだ?」
この部屋に入る生徒など、自分以外には殆どいないはずだ。ごくたまに、セイヤーズも、ふらりと立ち寄っては、物思いに耽っているらしいが、鍵がかかっているわけでもないのに、まるで開かずの部屋であるかのように、この部屋はひっそりと存在し続けているだけであるはずなのだ。
それなのに、寝室から物音がするということは、誰か入り込んでいるということか。
まさか、誰も来ないと思って、よからぬ密会に使っているのでは。
「・・・だとしたら、たたき出してやる」
聖域を汚されたような怒りを感じ、オスカーは足音を殺して、奥の扉に近寄り、ゆっくりとノブを回した。
「何をしている!?」
廊下に漏れないよう、けれど鋭く怒鳴りながら扉を一気に開けたオスカーは、しかし、次の瞬間、呆然と立ち尽くした。
「・・・・・・・・・・・・っ!?」
青白い月明かりの下、妖しげに縺れ合う少年達などはおらず、ただ一人、華奢な青年が、ぽつんと立ち尽くしていた。
顔は窓の方を向いていて、見えないけれど。
セント・ラファエロの制服を着た、小柄な後姿。
やわらかく指通りのよさそうな黒絹の髪。
月明かりに照らされる、象牙色のほっそりとした項・・・・。
それは、夢にまで見た彼の人の、一年経っても全く薄れることのなかった思い出のままの・・・。
「フォーダム・・・・・・」
無意識のようにオスカーの零した呼びかけに、青年が、ふらりと、重さを感じさせない動きで振り向いた。
青白い月の光の中に、求めて、焦がれて、不安になり、それでも信じ続けた、繊細な容貌が、在った。
けれど、煙るような漆黒の瞳は、月の光を神秘と共に内包し、どこか遠くを見ている。
「・・・・・・・・・を・・・・・」
不意に、青年が小さく口唇を動かした。
「え?」
まだいつも見る夢かと疑うように呆然としたまま、オスカーは一歩足を踏み出した。
「『・・・・・・の魔術書』・・・を・・・探さないと・・・・・・」
呟きが消えた直後、華奢な青年の身体が揺らめいて、くず折れた。
「フォーダム!!」
叫んで、慌てて駆け寄ったオスカーは、己の腕の中に、焦がれ求め続けた、絶対に取り戻すと誓った人を、しっかりと抱きとめた。
「フォーダム・・・!」
儚げな風情を一層増した、一つ年上の青年は、けれど、確かに、実体を持って、ここに戻ってきたのだ。
オスカーの、目の前に。
青白い月の光が、見守るように、部屋の中を照らし出していた。