おにぎり
「オ・・・−−−・・・」
夕食の席で、ふと、傍らに座った小柄な少年が呟いた言葉に、シモンは形のよい眉を顰めた。
「ユウリ?なんと言ったんだい?」
繊細に整った、転入してきてまだ一年に満たない東洋人の特徴が色濃く出た少年の顔を覗き込んだ。
「・・・・・・何でもないんだ。ごめんね」
既に自他共に認める親友・・・のはずの優しげな少年は、小首を傾げて苦笑した。
「・・・ユウリ?」
「大丈夫」
納得できないシモンが重ねて問うても、ユウリは小さく首を横に振って答えない。
二人のやり取りを、正面に座ったヒュー・アダムスが見ていたが、彼にも、ユウリの言葉は聞き取れなかったようで、眉を顰めたままだ。
意外に頑固なユウリをそれ以上問い詰めはせず、シモンは仕方なく、夕食を再開した。
しかし、何しろ隣に座っていたのだ。
更には、ユウリの声なら、どんな小さな声でも聞き漏らすまいと願い努力しているシモンは、実は、音自体は聞き取っていた。
ただし、意味は不明だ。
考えるまでもなく、ユウリのもう一つの母国語、日本語であろうと思われた。
『オニギリガタベタイナ・・・』
ユウリは、そう言ったのだ。
問題は、意味だ。
いつかユウリの育った日本に行くことを想定して、日本語の勉強を始めたいとは思っているシモンだが、まだ、取り掛かってはいなかった。
痛恨の失態だ。
しかし、今は嘆いている時ではない。
ユウリは、なんだか寂しげだった。意味を理解して、ユウリのためにできることをしたいと、シモンは思った。
ヒューには負けられない、と思ったかどうかは、ともかく。
「・・・まずは、日本語の辞典か・・・。いや、ネットで・・・・」
検討しかけ、しかし、今は何よりもスピードが大切だと考え、最も早い手段をとることに決めた。
携帯を取り出す。短縮を押し、すぐに出た相手に、挨拶もそこそこに経緯を説明し、続けた。
「ベルジュの企業には、日系のビジネスマンもいるだろう。大至急、確認して、それが物であるなら、速やかに手配してほしい」
電話の向こうのベルジュ家のシモン専用のエージェントは、歯切れ良く了解の返事をすると、早々に動き出すべく、電話を切った。
これで、明日にでもユウリの言葉の意味もわかるし、望みも叶えてあげられるだろう。
シモンは満足して翌日の授業の予習に取り掛かった。
翌日の夕食前の一時。
シモンが何やら呼び出されているのは知っていたが、戻ってきてすぐ誘われて、ユウリは首を傾げながら白金の髪の親友の後についていった。
同室の生徒達は談話室やよその部屋に行っているのか、誰もいない。
ベッドに座ると、シモンが手に持っていた小さめのバスケットを膝に乗せられた。
「開けてみて」
シモンに促されて不思議に思いながら、フランスからお菓子でも送られてきて、お裾分けなのかな、と想像しつつ、バスケットを開けた。
「・・・?・・・・・・あ・・・っ!」
見慣れているけれども、ここにあることが信じられないものが、バスケットの中に納まっていた。
三角。俵。形は合っている。
色は、黒。白が覗いている。
何故、これがここに。
「シモン・・・?」
困惑したような、嬉しいような、複雑な気持ちで見上げたシモンは、冷静な彼には珍しく、嬉しそうで、ほんの少し、得意げだった。
「これが、食べたかったんだろう?ユウリ」
確かに、つい昨日の夕食時、呟いてしまったことではあるけれど。
昨日の今日で、どうしてこれが。しかも、自分は日本語で呟いたはずなのに。
「食べてみてくれないかい?ちゃんとできているかどうかわからないんだ。さすがに僕も、実物を見たことがなくて、確認できないからね」
ちょっと心配そうに言われて、小さめとはいえバスケットに整然といっぱいに並んだ中から一つ、手に取った。
「じゃあ、いただきます」
たぶんフランス人による御握りなのだろうから、覚悟して一口食べたユウリは、漆黒の瞳を瞠ってシモンを見上げた。
「おいしい!ちゃんとおにぎりだよ」
「それはよかった」
漸く安心したようにユウリの隣に座ったシモンが笑みを浮かべてバスケットを覗き込んだ。
「ちょうど連絡のついた、ベルジュの企業で働いている日本人が、外交官の息子で、外国暮らしが長いと言っていたというから、ちょっと心配だったんだけど。ちゃんと、日本のオニギリになっているならよかった」
「・・・・・・・・・ありがとう」
きっと、ユウリのためだけに、調べて、米や海苔を調達して、作ってくれたのだと思う。外交官の息子という人には迷惑をかけてしまったけれど、ユウリの小さな呟きも聞き漏らさないでくれたシモンの気持ちが嬉しい。
「僕が、興味があっただけだよ」
シモンは、少しだけ得意げではあったとはいえ、基本的に、ユウリに恩を着せるようなことを言うはずもない。
ユウリは、嬉しくて懐かしくて幸せで、隣に座る親友に、バスケットを差し出した。
「シモンも食べてみて」
寿司などのように酢飯ではないし、具は醤油おかかや焼き鮭らしいから、フランス人でも食べられるのではないかと思ったのだ。
「そうだね。今日の夕食は、これでいいかな」
お握りは、たっぷりある。育ち盛りの少年二人の腹を満たすに十分だろう。
シモンが興味深げにお握りを食べるのを、自分も頬張りながら見つめた。
「・・・・・・おいしい?」
小首を傾げて問うと、シモンも首を傾げて小さなお握りを一つ食べ終えてから答えた。
「悪くないね。シンプルで、エネルギーがありそうだ」
とりあえず、舌の肥えたシモンにとって、日本食が食べられないものではない、ということは、嬉しいことだ。
「腹持ちすることは保障するよ」
そうして、二人は、バスケットいっぱいのお握りを、他愛無いお喋りをしながら平らげたのだった。
「ごちそうさま。本当に、懐かしくて、嬉しかった。ありがとう。これを作ってくれた人にも、お礼を言いたいんだけど・・・」
「僕から伝えておくよ。ユウリが喜んでくれてよかった。また何か欲しいものがあったら、遠慮しないで僕に言ってほしい」
にっこり笑うユウリを眩しげに見やって、シモンが応えた。
「・・・そんなに気を遣わないで。日本のものなんて、ロンドンの家に連絡を取ったり、日本の親戚に頼めば何とかなるし」
「僕が、日本に興味があるんだよ。今回は急いだけれど、自分で調べたりするのも楽しいだろうし、珍しいものを見たり食べたりできるのは、僕の望みでもあるのだからね」
あくまでも、ユウリに負担をかけないようにしようとするシモンに、ユウリは申し訳ないような、頼もしいような、そんなに自分のことを考えてくれることが嬉しいような、いろんな感情を表しきれなくて、困ってしまった。
「・・・・・・ありがとう、シモン」
これだけは、間違いのない、一番わかりやすい気持ちだから。心を込めて、伝えた。
「どういたしまして」
シモンが笑うから、ユウリも嬉しくなって、笑みを浮かべた。
出会って、一年未満。
それでも、互いが大切な存在であることは、既に疑いようのない、幸せな事実だった。
ヒュー・アダムスが、嬉しそうなユウリに事の顛末を聞いて、盛大に顔を顰めたのは、言うまでもない。
終
言い訳
・・・いやあ、いろいろご都合主義ですねえ。まあ、数年前の話ってことで、シモンもまだ微妙に落ち着きが足りないのか。得意げってなんでしょうねえ。シモンが音だけを正確に発音する日本語ってのもちょっとどうよ、って感じですし。エージェント、可哀想・・・。
しかし、日本の親戚って、隆聖さんでしょうねえ。おにぎり送ってくれますかね・・・。
ヒューが名前だけ出てますね。喋らせてあげたかったかもです。彼の話もいつか。
なんだか、ギャグなんだかほのぼのなんだかわからない話になってしまいました。本当に、どうでもいい話ですみません。